竹林通信

  竹林通信は日々思うところ、仕事そして山登り等趣味についての個人サイトとしたい。 どちらかというと私もまた田舎に隠棲する生活をよしとしてきた。 でもそろそろタケノコが青竹になるように、好き放題振舞ってもよさそうに思えてならない。 過去のことを振りかえる機会があり、 そうした中で心境の変化があった。さあ、どんな風にこのサイトはなるのだろうか。
  子供のころ、このあたりの家には必ずと言っていいくらい竹藪が確かにあった。 竹林は冬の空風から屋敷を守り、農耕の用にそして竹細工に必要不可欠だった。 竹林の南に面しているひだまりはとにかく居心地が良い。竹の需要の減少と共に それは姿を消し、その空間は異なった用途に 転用された。 間延びしたような穏やかな時間と空間はもう還ってこない。  

目次

山 行 ---私の山歩きと山について
晴 耕 ---家庭菜園について
雨 読 ---日々考えていること
参 考 ---参考にしているサイトおよび情報源
庶 務 ---コミュニティの分担内容
日誌 -----病院日誌とその後
リンク ---サイトの付き合い
サイトマップ ---サイト規約 管理者情報 サイトマップ

 不要不急の外出
  私がこのページで書いていることのほとんどがどうやら不要不急の外出に当たると思われる。山歩きなどはどう見ても 抗弁しようにもできない代物だ。骨折治療名目に家の周りを散策するとて注意が必要と考える。幸い私の家は閑散とした 田舎の集落にあり、不要不急の外出の議論の範疇外と言えよう。
  しかしながら、流石に山登りは新型コロナが収まらない限り良くないと思う。いくら田舎にいようとて、車を使用しての移動は 反則行為そのものと言えよう。たとえ徒歩で行くことが可能であっても、普通の人が危険と思える山道もまた不要不急の外出と されるだろう。
屋外の活動は、生産活動以外はこの期間は注意する。このことに徹していこうと考える。

 さてさて
通信帳(告知板)はデータベースの設計、作成、保守点検それに汎用性を考えると元から構築したほうが良いと考える。 他のサイトでもちょっと手直しすれば使用できるものに仕上がる。

竹林通信 鳥獣戯画 竹林通信 鳥獣戯画 竹林通信 鳥獣戯画 竹林通信 鳥獣戯画



HomePageの眼目

結果責任と説明責任
   責任は結果責任と説明責任の二つの責任があると言われる。失敗に対し職を辞すことなど前者の例で、  その失敗の顛末を詳らかにするのが後者だ。そして他人に対して、あるいは身近な人に対して結果責任と説明責任を私たちは求め、  時にはそのことをもって他人を糾弾することに及ぶ様を見聞する。  時間軸を過去に戻せない以上この二つの責任は現在と未来に対して果たしていくしかない。過去の事及び現在行われている行為が対象なのだ。
  かつて自己否定の論理なる語で本来自己を律するべきことを越え、広く自己に関わる事象にまでその論理を敷衍した時代が確かに存在した。  自己否定の論理の本来の使用例で言えば、アプリオリな考え方により克己(こっき)なのだが、他者批判の道具と化した。  そのことの歴史的意味なり価値を否定はしないが、このHomePagedeでは自己の責任と対象に限定したい。
 過去については記憶力が貧相ときているので勘弁していただき、現在の自分を将来に資すべき証として何らかの有形物を残しておきたい。
 最近流行りのブログでの「今日のごちそうの写真」をアップする感覚でこのページを作成していきたい。
  文章を書く場合、前文・本文・結論、あるいは起承転結の四段構成とするのが習わしと聞く。お気づきのかたはあろうかと思うが、私の文章は  結論部分の段落がほとんど欠落している。意図的に書かないのではない、書くべき結論が未定で書けない、思案中の段階でそこで文章が  止まってしまう  と理解していただきたい。
 結果責任と説明責任、果せるかなこの難題。

止まれ、一瞬

風に耳をすませば
   締め切った病院の窓ガラスから見える風景はそれはそれで趣があるのだが、 何かいつもピント外れのファインダーを見ているようで落ち着かないでいた。 温度感、肌感覚と言うべき皮膚を通しての知覚も視覚には必要条件なのだ。 空気の移動の様が冷たい窓ガラスに遮られ、自然が持つ細やかな豊饒とて 何とも貧相な平面的な幾何文様だ。
    音がサイン、コサインのへんてこりんの集合体なんだと思うと、風にたなびく 商店の旗竿から超音波の例の波型が脳裏に映る。私の歩く靴音はどんちょうな 大きな波型、先ほど放り投げたチリ紙はとても小さな波型で、小刻みに存在感を 主張する。
    あなたの発した、そのため息は一体どんな波形なのか。

迦葉山 天狗のお面で名高い弥勒寺

 迦葉山

吉祥寺山門

 吉祥寺山門

吉祥寺六地蔵

 吉祥寺六地蔵

6月 5日 たまにはお寺巡りも

  義理を欠いている迦葉山弥勒寺と庭園がみごとと評判の川場村の吉祥寺に行ってみる。 新型コロナもまずは神仏にお願いすることにする。


5月23日 長い間、道草を食った。

  骨折をして思う、「長い間、道草を食った」と。


5月21日 体力の減退が甚だしい。

  毎日散歩をしているがなかなか体力が戻らない。骨折箇所の周辺部分を何とかしようと鍛えているのだがうまくいかない。 長い平坦な道を長時間歩くのが希望なのだがそういう状況をなかなか作れない。
仕事が忙しいのもあるがそればかりでない。近所の目、他人の目をどうしても気にしてしまう。


4月5日 腹をくくる。

  何とか新型コロナウイルスの蔓延がないようにと願っていたが、どうやららそれは無理なような報道が続く。東京での新たな感染者が三桁とはいよいよ 危険ラインを越えてしまったように思える。役所や政府と言う考えもあるかもしれないが、他力本願は止め自分で何とかしようと思う。自分にできることを 徹底的にやる、腹をくくっていくしかないと思う。


3月20日 リンゴの花の咲くころに

リンゴの花の咲くころに北アルプスなんて素敵だ。南は常念から北は白馬あたりまでまったりとドライブでもしたいものだ。車の余り通らない野辺に、 それはどこでもよいのだが、そっと車を止める。リンゴの木と山並みが見える場所でトカゲを決め込みたい。トカゲなのだからなるべく動かないで 過ごすことが良い。人に見られ、不審者に見られようが構わない。リンゴの花と北アルプスと思うのだが、今年の景色はどうだろうかと心配だ。 山並みに映える雪が必須条件なんだけれど、なにせ雪が少ないと聞いている。
喜作新道で知られる山案内人小林喜作は堀金村の出だ。私の長女もこちらに嫁いだ。私の趣味を踏まえ、夫君に色々この辺の事情を聴いてもらいたいものだ。 私のことであれこれ心配をかけ、その上無心するのは心苦しいのだが、5月の安曇野はきっと感じがいいと、そんな気がする。


3月11日 小規模の寄り合いですが

  新型コロナウイルスの蔓延を考えると中止もやむを得ないと思う。毎年、恒例のように 十数人が集い何かやのことを決めたり、あるいは儀式めいた事柄をたんたんと行う、 仲の良い集団の打ち上げめいた事など様々だ。
まるで、人が会うこと自体が「濃厚接触」なんて馬鹿げている。でも、そんな地道な 行動の積み重ねが対策でしかないこのウイルスの恐ろしさを改めて思う。


2月24日 危機管理能力が問われている

 新型コロナウイルスで今度こそ、政府の危機管理能力が問われることになる。後手後手に回りどうも評判が宜しくない 日本政府だが、明日公表されるであろうロードマップで起死回生の一手があると期待したい。国民の生命、財産が危機に瀕するのは戦時ばかり とは限らない。今まさに国難であり、正念場だということを自覚し、はぐらかさず対応願いたい。
  前例踏襲、難問先送り政策は今回ばかりは止めた方がよいと考える。


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