竹林通信

  竹林通信は日々思うところ、仕事そして山登り等趣味についての個人サイトとしたい。 どちらかというと私もまた田舎に隠棲する生活をよしとしてきた。 でもそろそろタケノコが青竹になるように、好き放題振舞ってもよさそうに思えてならない。 過去のことを振りかえる機会があり、 そうした中で心境の変化があった。さあ、どんな風にこのサイトはなるのだろうか。
  子供のころ、このあたりの家には必ずと言っていいくらい竹藪が確かにあった。 竹林は冬の空風から屋敷を守り、農耕の用にそして竹細工に必要不可欠だった。 竹林の南に面しているひだまりはとにかく居心地が良い。竹の需要の減少と共に それは姿を消し、その空間は異なった用途に 転用された。 間延びしたような穏やかな時間と空間はもう還ってこない。  

目次

山 行 ---私の山歩きと山について
晴 耕 ---家庭菜園について
雨 読 ---日々考えていること
参 考 ---参考にしているサイトおよび情報源
庶 務 ---コミュニティの分担内容
日誌 -----病院日誌とその後
リンク ---サイトの付き合い
サイトマップ ---サイト規約 管理者情報 サイトマップ

 (不要不急の外出)
  私がこのページで書いていることのほとんどがどうやら不要不急の外出に当たると思われる。山歩きなどはどう見ても 抗弁しようにもできない代物だ。骨折治療名目に家の周りを散策するとて注意が必要と考える。幸い私の家は閑散とした 田舎の集落にあり、不要不急の外出の議論の範疇外と言えよう。
  しかしながら、流石に山登りは新型コロナが収まらない限り良くないと思う。いくら田舎にいようとて、車を使用しての移動は 反則行為そのものと言えよう。たとえ徒歩で行くことが可能であっても、普通の人が危険と思える山道もまた不要不急の外出と されるだろう。
屋外の活動は、生産活動以外はこの期間は注意する。このことに徹していこうと考える。
  (休煙)
  新型コロナで私の生活を一変させたことの一つに喫煙の習慣がある。骨折で病院に入院していたのだが、入院先の病院では喫煙は可能であった。 喫煙場所は冬の時期にも関わらず屋外で且つ仕切りもない寒空と聞き、松葉づえをついてたばこでは格好が悪いので休煙とした。禁煙ではなく、 喫煙を休むことにした。折からのコロナの騒ぎだ。当初は心肺を気遣い、流石にたばこはうまくないと判断した。5か月以上休煙しているので、 もう少しコロナのワクチンが出るまで頑張るつもりだ。たばこを吸わないことの苦労はない。禁断症状も大したこともなく、吸わないことのストレスも 別段なかった。そういった意味では頑張ることもしなかった。でも、早くコロナのワクチンができますようにと願う。

 さてさて
通信帳(告知板)はデータベースの設計、作成、保守点検それに汎用性を考えると元から構築したほうが良いと考える。 他のサイトでもちょっと手直しすれば使用できるものに仕上がる。

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HomePageの眼目

結果責任と説明責任
   責任は結果責任と説明責任の二つの責任があると言われる。失敗に対し職を辞すことなど前者の例で、  その失敗の顛末を詳らかにするのが後者だ。そして他人に対して、あるいは身近な人に対して結果責任と説明責任を私たちは求め、  時にはそのことをもって他人を糾弾することに及ぶ様を見聞する。  時間軸を過去に戻せない以上この二つの責任は現在と未来に対して果たしていくしかない。過去の事及び現在行われている行為が対象なのだ。
  かつて自己否定の論理なる語で本来自己を律するべきことを越え、広く自己に関わる事象にまでその論理を敷衍した時代が確かに存在した。  自己否定の論理の本来の使用例で言えば、アプリオリな考え方により克己(こっき)なのだが、他者批判の道具と化した。  そのことの歴史的意味なり価値を否定はしないが、このHomePagedeでは自己の責任と対象に限定したい。
 過去については記憶力が貧相ときているので勘弁していただき、現在の自分を将来に資すべき証として何らかの有形物を残しておきたい。
 最近流行りのブログでの「今日のごちそうの写真」をアップする感覚でこのページを作成していきたい。
  文章を書く場合、前文・本文・結論、あるいは起承転結の四段構成とするのが習わしと聞く。お気づきのかたはあろうかと思うが、私の文章は  結論部分の段落がほとんど欠落している。意図的に書かないのではない、書くべき結論が未定で書けない、思案中の段階でそこで文章が  止まってしまう  と理解していただきたい。
 結果責任と説明責任、果せるかなこの難題。

止まれ、一瞬

六地蔵
   お恥ずかしことですが、お地蔵さんは何故六人なのかと思い調べてみました。仏教の六道輪廻によると、生き物は六つの世界に生まれ変わりを繰り返すと  され、お地蔵様はそれぞれの世界に対応し生き物を救済されると言われている。地獄道の檀陀 (だんだ) 、餓鬼道の宝珠 (ほうじゅ) 、畜生道の宝印、  修羅道の持地 (じじ) 、人間道の除蓋障 (じょがいしょう) 、天道の日光の各地蔵菩薩とされる。どの世界にも弱いものは存在し、苦悩し泣き叫び、あるいは  そういったことすら自失し、虚空を漂い移ろう視線の先にきっと救いの手はある。消え入りそうな、わずかばかりの光明に私たちの心は満たされる。  あまりに気弱な精神の、より繊細な物理的シナプスの折れるほどのはかなさを六地蔵は知っている。
   止まれ、一瞬。小さく呼吸をし、蒼穹に視線を向ける。そうなのだ、あの時もあくまでも物悲しい虚空を見上げていた。
 駅のプラットフォームに仰ぎ見る夜空の視線の先に一体何が投影されたというのか。除蓋障よ、教えてくれ。

香港の人民に栄光あれ

香港に自由を
  自由を求める人々の前に国家がその本性を露わにしてきている。テレビに映る市民に独裁体制の暴力装置が襲い掛かる。私もこの国があのような暴挙に及ぶなら 多分同じように立ち上がりたい。自由が脅かされること、それは自分にとって耐えがたいように思われる。
香港人民に連帯の意を表して、自由をと私も叫ぶ。こんなことぐらいしか今の私にはできないことが悲しい。

坤六峠より照葉峡

坤六峠
 鳩待峠と坤六峠の分岐

榛名山 榛名神社

 榛名山
 榛名山 ロープウェイ駅付近
 榛名神社 山門
 榛名神社 山門

赤谷湖

 赤谷湖
  相俣ダム 赤谷湖

7月7日 今日は七夕

  織女と牽牛の一年に一度のデートの日だ。天も無粋なもので九州は大雨ときている。吉日の逢瀬といって波瀾万丈が世の常なのかもしれない。 それにしても、14.4光年の時空をいともたやすく移動する愛の強さを羨ましく思う。


7月4日 坤六峠より照葉峡

  秋の紅葉もよいけれど夏場の坤六峠より 照葉峡も魅力ある景色に満ちている。


6月30日 三国峠

  いつになったら赤谷湖を越え三国峠に立てるのだろうか。


6月28日 榛名神社へ

  久しぶりに榛名山(榛名湖)を通り榛名神社へ行ってきました。 ちょっとした登りの参道はとても心地よい。
榛名神社(その2)


6月26日 我が家の猫

  私の家系は元来、小顔でほっそりした穏やかな顔立ちである。猫とて私の家に棲む限り例外は許されない。こう書いてくるとお気づきの方も いらしゃる通り猫としては、すこぶる弱いということだ。 家の外に出れば他の猫に敵わない、脅かされて逃げ帰るのみである。自分の縄張りなどない、とても弱い猫なのだ。
今日は私がうっかりして縁側の戸を開けたままにしてしまい、野良猫を家の中に入れてしまった。僅かな時間なのだが、家の猫の様子がおかしいので私たちも気が付いた。 すぐに野良猫を家の外に追い出したのだが、家の猫には可哀そうなことをしてしまった。
これから暑い夏の季節だ、涼しい外の空気もたまにはと思うけれど叶わぬ夢となる。ドヤ顔であったらと、哀しく思う。


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