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「クッキー」情報収集、公取委規制へ スマホ位置情報も

 「ウェブ上で利用者がどんなページを見たかを記録する「クッキー」について、公正取引委員会は、利用者の同意なく収集して利用すれば 独占禁止法違反になる恐れがあるとして規制する方向で検討に入った。(朝日新聞)」法治国家においては法の不存在は個人情報の収集であれ集積 であれ資本の論理の赴くまま自由である。ウェブのリテラシーなどほとんどの利用者は持ち合わせてはいない。「クッキー」については便利半分、 煩わしさと鬱陶しさ半分と複雑な心境だ。
ウェブ開発者の端くれの私からすると技術的な規制は反発したくなるのが人情だ。
  よくよく考えてみると、公正取引委員会の個人情報保護の取り組みは頷ける。利用者個人に比し、優越的地位の利用ということで企業に一定の網を 被せることは理にかなっている。自由主義は対等な個人と個人、あるいは個人と企業を想定している。独占企業や優越的地位の高い企業が 倫理的に振舞ってくれる性善説など通用しないことは明白になった今、十分なる議論を尽くしてほしい。本来経団連あたりがこのような提言をするのが 筋と考える。(2019/10/29)

米通信当局、ファーウェイ排除要求へ 既存設備も交換

 「米連邦通信委員会(FCC)は28日、国内の通信会社に対して中国の通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)の 製品を使わないよう求める採決を11月に実施すると発表した。(日経新聞)」米中間の通信規格をめぐる覇権争いのひとこまだろう。 中国製品の価格攻勢に対抗し、安全保障上のリスクのもとまずは米国内の締め付けを図る。いずれにしても、友好国にこの処置は波及することは 目に見えている。
インドが将来この覇権争いに参入するまで、この構図は変わらないと考える。(2019/10/29)

仮想通貨リブラから5社離脱

 「(米フェイスブック(FB)が計画を主導する暗号資産(仮想通貨)「リブラ」の発行・管理団体から、米クレジットカード大手のビザと マスターカードなど5社が離脱したことが11日、わかった。(朝日新聞)」資本は国家の秩序を越え本性に従い自己増殖をなさんとする。国と国の間に、 あるいは国に侵潤し、肥大する。あたかも資本がそれ自体が意志を持つかのようにふるまう。「リブラ」は「ドル」などの通貨とリンクすれば「金」と 同様に国家をまたぐ通貨たり得よう。ありえないないことだが、それは「ドル」にとって代わる国際通貨たり得よう。
「リブラ」が他の暗号資産(仮想通貨)と質的に異なり、リンクすることにより信用を獲得する。価値尺度、交換の媒介、価値の蓄積可能な通貨が私企業によって 創られる。管理通貨制の矛盾を蚕食しかねない資本自身の内なる叫びに聞こえる。
 旧約聖書の「創世記」に書かれた事柄がバベルの塔であるならば、「リブラ」もまた似たような運命と心配する。バベルの塔は神により、「リブラ」は 中央銀行なり国家によりとん挫する。人々の欲望と言葉がこれまた通じない、悲しい物語を思う。それが大風呂敷でなく、 ハンカチ程度であれば話は変わってくるのだが。(2019/10/12)

香港、覆面禁止規則

 「香港政府は9月4日、行政長官の権限であらゆる規則を適用できる「緊急状況規則条例」を発動すると発表した。(日経新聞電子版)」 この規則は翌日5日から発動され「覆面禁止規則」が適用されるとの報道だ。独裁国家の強権と人民の衝突に胸が締め付けられる。 社会主義の理想を掲げた、愛国者であったレーニンや毛沢東がこの状況を見たとき何を思うのであろうか。
  未成熟な生産力の上に人為的な下部構造を取ってつけてもそれはまがい物に過ぎない。社会主義と自称する国家資本主義の民主主義がどのように 変質するのか、または変わらないのか知りたい。いずれにしても、悲しいかなそれは「白く塗りたる墓(新約聖書マタイによる福音書(23章))」にしか私にはみえない。 だが現実に、そこには生きた人民が生活しているのだ。香港の政情を注視していきたい。(2019/10/4)

バンクシーが描く英国議会

 「英国の覆面芸術家バンクシーが英議会の議員をチンパンジーに見立てた絵画が3日、競売大手サザビーズの競売で987万9500ポンド (約13億円)で落札された。(朝日新聞)」時代を越えて残る絵画と思う。民主主義が形骸化し退廃の域に達したポプリズムの議会、 いや社会そのものをかくも冷徹且つ軽妙にに表現しうるものだろうか。金融資本が闊歩する中、産業資本の遺産が、老骨今だ健在なりと仁王立ちしている、 覆面芸術家恐るべし。
 香港もそうであるが、民主主義に覆面はどうやら必要不可欠なようだ。(2019/10/4)

新版大内力著「国家独占資本主義論(こぶし文庫)」によせて

 金本位制の離脱から管理通貨制の移行をもって帝国主義の確立とすると現状分析が論理的に説明できるのではないかと思う。帝国主義論は 金本位制の崩壊で終わるのではなく、もっと積極的に管理通貨体制の成立をもって金融資本の永続性を展開し得る。 日本なら日本のある種の経済問題を考えたときに、前提条件を置かねばならない。この前提条件を省いた論証がどうも手品師の掌で 躍らされているような煮え切らない料理と思えてしまう。
 そのように大内力著「国家独占主義論」を読むと経済学の現状分析の一つの方法論を提示したと私には思えてならない。論証のあり様の 内在する矛盾をことさらに開示していたと思われる。全般的危機説と評されるように書の半分は国家独占主義といわれる現代資本主義国家の 分析だった。書の後半で現状分析を試みる体裁をとっていた。書の目的は現状分析をするにあたり、帝国主義論と現状分析をする前提条件が どうしても欠かせないと考えたと思われる。「戦後日本経済学の一つの到達点」とされるのもうなづけるところである。
 宇野経済学もこの国の歴史学の大半が自由主義経済は第一次大戦までとしているのに対し、経済学の現状分析から問題提起をなしたのが この書でなかったかと思う。グローバル資本主義なる語で語られる昨今、氏の確かな見識に今更ながら驚かされる。
金融資本論あるいは帝国主義論の再構築が望まれる。経済学にとって、宇野の言う原理論、段階論そして現状分析の純化は喫緊の課題です。 とりわけ段階論の純化には程遠いように思われる。 (2019/10/7)